東京都条例の施行
東京には、現在約500万世帯が居住していますが、そのうちの4割にあたる約205万世帯が、賃貸住宅に居住しています。平成15年度に東京都住宅局(現、都市整備局)に寄せられた電話や窓口での相談件数9,474件のうち、第1位(約22%)が『退去時の敷金精算』についてでした。
まず、この問題をとりあげます。賃貸によるトラブルが年々増加する中、特に多いのが『退去時の敷金問題』です。これを受け、平成16年10月1日より、原状回復ガイドラインに対する東京都の条例である「東京における住宅の賃貸借に係る紛争の防止に関する条例(賃貸住宅紛争防止条例、以下「東京都条例」といいます)」が施行されました。
この東京都条例は、住宅の賃貸借に伴いあらかじめ明らかにすべき事項を定め、それを説明する事により、住宅の賃貸借上のトラブルを防止するために制定され、宅地建物取引業者が借主に書面を交付し、退去時の原状回復と入居中の修繕について、費用負担に伴なう「法律上の原則」や「判例により定着した考え方」などを説明する事を義務付けています。
宅地建物取引業者(不動産会社)が説明するのは、以下の4点です。
- 退去時の通常損耗等の復旧(原状回復内容)
⇒これは、民法の原則に基づき、
「退去時の通常損耗等の復旧は貸主が行うことが基本であること」を示しています。 - 入居期間中の必要な修繕
⇒これも同じく民法の原則に基づき、
「入居期間中の必要な修繕は貸主が行うことが基本であること」を示しています。(注1) - 契約においての特約条項
⇒(この「特約条項」については後述します)
修繕及び維持管理等に関する連絡先
(注1)修繕義務と民法の原則
建物を貸す場合、貸主は借主に対し、建物を使用収益させる義務を負っています(民法606①)。借主に住居を目的として貸す場合、その借主が住居として使用できる建物を賃借する義務を負います。例えば、ライフラインである電気・ガス・水道が使えることは当然のことながら、建物を賃借する際に前提条件になっているもの(例えば、「エアコン付き」の場合は、そのエアコンが使用できること)に問題が生じた場合は、貸主が修繕義務を負います。
東京都条例の対象
この東京都条例の対象となるのは、宅地建物取引業者が媒介(仲介)代理を行なう東京都内にある居住用の賃貸住宅(店舗・事務所等の事業用、貸主と直接契約を結ぶ場合は除く)であり、平成16年10月1日以降、重要事項説明を行う新規賃貸借契約(更新契約は除く)となります。ここで、誤解されがちなので付け加えますと、この東京都条例は、東京都が都内に貸室を持つオーナーに対して直接何かの規制をするものではないということです。
あくまで、仲介する宅地建物取引業者(不動産業者)に対し、原状回復費用の負担について、借主に契約時に別紙を用いて説明する義務を課したものと解されております。宅地建物取引業がこの説明義務に違反すると、その不動産業者(仲介業者)が東京都から指導・勧告が行われ、オーナーが取り締まられる訳ではないのです。
しかしながら、原状回復費用負担の定めですから、オーナーも当然影響を受けることとなりますので、この東京都条例を理解しておくことがトラブルの防止につながります。これらを踏まえて、この東京都条例の基になる「原状回復ガイドライン」の内容を説明します。
原状回復ガイドラインの内容
この東京都条例は、直接的に貸主・借主の原状回復の負担を定めた条例ではありません。国土交通省の定めている「原状回復ガイドライン」を基に、そのガイドラインに沿った敷金精算・内容説明を義務付けたルールによって紛争の未然防止を目的としていますので、まず、「原状回復ガイドライン」を理解しなければなりません。
「原状回復ガイドライン」の説明の前に、そもそも「原状回復ガイドライン」は民法に基づいて制定されており、それを具体的かつ詳細にしたものです。「原状回復」にかかわる民法上の条項には、次のものがあります。
- 借主の収去義務
⇒⇒借主自身が取り付けたもの(例えばエアコンなど)を退去の際は借主が収去(撤去)する義務を負います。民法上では、「原状回復」といえばこのことを指します。 - 善管注意義務違反に基づく損害賠償義務
⇒借主は、善良な管理者としての注意を払って使用する義務(善管注意義務)を負っていますので、通常使用の範囲を超えて破損・汚損したときは、借主は損害賠償の義務を負います。 - 修繕義務特約に基づく修繕義務
⇒貸主と借主の間で修繕に関する特約を設けた場合の借主におけるその義務の履行のことです。その修繕義務を借主に負わせる特約は、民法の修繕義務の規定が任意規定であるため原則は有効です。
「任意規定」というのは、「当事者が民法の規定と異なる権利や義務を定めた場合には、当事者間の契約で決めた方が優先して適用される」というものです。
これに基づき制定された「原状回復ガイドライン」とは、原状回復に関わる紛争が裁判となった場合の裁判例等を集約し原状回復の費用負担のあり方について、妥当と考えられる一般的な基準を記しているもので、概略は次の通りです。
※貸主の費用負担
賃貸住宅の契約においては、通常損耗(通常の使用に伴なって生じる程度の損耗)や経年変化(時間の経過に伴なって生じる損耗)などの修繕費は、家賃に含まれているとされており、貸主が負担するのが原則です。
つまり、具体的には次のものが貸主の負担とされています。
《通常の住まい方で発生するとされるもの》
- 家具の設置による床・カーペットのへこみ、設置跡
- テレビ・冷蔵庫等の後部壁面の黒ずみ(電気焼け)
- 壁に貼ったポスター等によるクロスの変色、日照など自然現象によるクロス・畳の変色、フローリングの色落ち
- 賃借人所有のエアコン設置による壁のビス穴・跡
- 下地ボードの張替が不要である程度の画鋲・ピンの穴
- 耐用年限到来による設備・機器の故障・使用不能
《建物の構造により発生するもの》
- 構造的な欠陥により発生した畳の変色、フローリングの色落ち、網入りガラスの亀裂
《次の入居者確保のために行なうもの》
- 特に破損等していないものの、次の入居者を確保する為に行う畳の表替え・裏返し、網戸の交換、浴槽、風呂釜等の取替え、破損・紛失していない場合のカギの取替え
- フローリングのワックスがけ、台所・トイレの消毒、専門業者による全体のハウスクリーニング
※借主の費用負担(原状回復)
一般的な建物賃貸借契約書の「借主は契約終了時には本物件を原状に復して明け渡さなければならない」といった条文の「原状回復」とは、借りていた物件を契約締結時とまったく同じ状態にするということではありません。
ここでいう「原状回復」とは、借主は、契約してから契約終了時に物件を貸主に明け渡すまでの間は、相当の注意を払って物件を使用・管理しなければなりません。
これを善管注意義務(善良なる管理者の注意義務)といいますが、この義務に反して、物件を壊したり汚したりした場合には、借主は原状に回復するよう求められる事になります。
つまり、具体的には次のものが借主の負担とされています。
《手入れを怠ったもの・用法違反・不注意によるもの》
- 飲みこぼし等を放置したカーペットのカビ・しみ、結露を放置したことにより拡大したカビ・シミ・クーラーからの水漏れを放置したことによる壁の腐食、台所の油汚れ、冷蔵庫下のサビ跡
- 引越作業・キャスター付きイス等によるフローリング等のキズ
- ペットによる柱等のキズ
- 賃借人の不注意により雨が吹き込んできたような場合のフローリングの色落ち
- 風呂、トイレ等の水垢、カビ等
- 日常の不適切な手入れもしくは用法違反による設備の毀損
《通常の使用とはいえないもの》
- 重量物をかけるためにあけた壁等のくぎ穴・ビス穴で下地ボードの張替が必要なもの、天井に直接付けた証明器具の跡
※補修例 クロスの一部が借主の不注意で破損している場合は?
クロスを例にすると、破損した場合の借主の負担は㎡単位が原則のようです。
しかし、破損部分だけを張り替えて、色褪せた他の古い部分と色が異なってしまうような場合は、クロス一面分の張替えを借主の負担とすることもあるとしています。
但し、その場合も、経過年数を考慮し、通常損耗・経年変化分を差し引いたものが、借主の負担となるとしています。
特約条項の有効性
次に、「特約条項」について説明します。
契約当事者の自由な意思に基いて設けられた「特約条項」に関しては、原則有効で法的効力があるとされています。なぜならば、民法では「契約自由の原則」が基本とされているため、契約内容は、原則として当事者間で自由に決める事ができるとされているからです。
ただし、特約の有効性について色々な議論があります。特約とは、「当事者間の特別の合意・約束」、「特別条件を付した約束」などを意味し、賃貸借契約の場合には、通常の原状回復義務を超えた負担を、特約として契約書に定めて、借主に課す場合などがあります。
しかし、特約はすべて認められる訳ではありません。有効になる為には次の3つの要因が必要であるとされています。
賃借人に特別の負担を課す特約が有効と認められる為の要件
- 特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在する事
- 賃借人が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことについて認識している事
- 賃借人が特約による義務負担の意思表示をしている事
トラブルの解消
「退去時の敷金」問題でトラブルを起こさないためには、一般原則通り(経年変化・通常損耗は貸主負担)とするのが、最善の方法かも知れません。
そうすることにより、オーナー様の費用負担が増えますが、その想定費用を賃料に上乗せし、普段から蓄積するのもひとつの方法です。
しかし、賃料を値上げしたら募集が難しくなるから、今まで通りの負担(例えば、畳・襖・クリーニング・クロス費用の一部)を特約条項に記載し、それをきっちり説明すれば大丈夫、という考え方もありますが、ここで注意しておきたいのは「特約事項」がトラブルの原因となった場合は、それが有効か無効かは、最終的には、裁判によって判断される事になります。
普通に考えれば、この「特約事項」が公序良俗に反したり、その他法律に違反していない限り有効であり、それに双方が合意していることを示す契約書に署名・捺印しているのだから、「借主は納得している」と思われますが、裁判所は、情報や知識の乏しい消費者が署名・捺印した事実だけでは、納得したとは認めない場合もあるようです。
それを踏まえたうえで、借主に具体的な不利益についても分かりやすく説明する事が重要で、その不利益を借主が納得しないのであれば、この契約を断念するくらいの気構えが必要といえます。
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